わくわくの日々

杉並区議会議員・松尾ゆりのブログ

ジェンダーフリー/ゆり

(Yさんのメールへのお返事)
ジェンダーフリー・バッシングのアホらしさはあぜんとするばかりですが(男女の更衣室をいっしょにしている、とかの類)、言葉としてのジェンダーフリーにも誤解はあるようです。
先日「we」
http://www.femix.co.jp/publication/we/
という雑誌(家庭科男女共修を求めて始まった雑誌でした)のジェンダーフリー特集を人に勧められて読みましたが、それによれば、
・「ジェンダーフリー」の英語のニュアンスとしては「ジェンダー・ブラインド」つまりジェンダーに対して鈍感というのに近い。日本で使われているのは「ジェンダー・バイアスからフリー」という意味だからむしろ逆?
・「ジェンダー・フリー」という語の創始者といわれている人はむしろ「ジェンダー・センシティヴ」を提唱している。(つまり差別があることに敏感でなければならないということでしょう)
で。そもそもジェンダーとは何かというと話になると、あるアメリカ先住民の文化には4つのジェンダーがある、とかね。
それはともかく、私のように学生時代に女性問題にはまった人間には、ジェンダーフリーという言葉は「女性解放」といった生な感じがなくていかにも行政のお気に入りの言葉だなあという感じです。実際、それこそ「右翼」山田区長の1期目につくった基本構想にすら「ジェンダーフリー」が誇らしげにかかげられていますから。
とりあえず混合名簿はね、うちの小学校が混合なんですけど、全然不便はないし、男女で妙に線が引かれなくて解放感はあります。私は好きです。子供が中学に入ると男女別で、なんか「え〜っ?」って感じでした。西高も混合名簿でしたけどね。あれは女性がいるのが例外って感じだったよね。
つくる会」の歴史教科書は私の見た感じでは「神話が載っていてしかも長い」ことと、端々の記述がほんとに皇国史観だなあとあきれるものがありましたが、つくりは意外に普通の教科書でした。というよりも、普通の教科書も結局どっこいどっこいなんだということだと思いますが。
あと、カラーページで「日本の文化はギリシャ文明よりも古くてすぐれている!」「日本の仏像はミケランジェロにも匹敵する」みたいなことが(正確ではない)書いてあって、逆に西洋コンプレックスを強烈に感じて情けなかったです。