わくわくの日々

杉並区議会議員・松尾ゆりのブログ

2008年度予算に対する意見開陳

3月13日予算特別委員会における、杉並わくわく会議・松尾ゆりの意見開陳です。
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<「いのちをはぐくむ」どころか軽んじる予算>
杉並わくわく会議・松尾ゆりです。平成20年度各会計予算案および関連議案に対して意見を申し述べます。本日の意見開陳においては、発言者のうち3分の2を女性が占めました。会派を超えて女性議員の皆さんの活躍を喜びたいと思います。女性8名の最後の一人として発言させていただくことを名誉に思います。
それでは、平成20年度各会計予算および関連議案に対して意見を申し述べます。
「いのちを育む予算」と名付けられた来年度予算ですが、委員会の質疑の中では、「看板に偽りあり」と申し上げました。理由はいくつもありますが、やはり、質疑の中でたびたび指摘されたように、重点政策の中に、福祉もなければ商店街振興もない。まさに、区民の生活と営業を軽視した予算、いのちを軽んじる予算と呼んで過言でないと思います。
税制改革の影響もあり、区税収は大きく増えましたが、他方区民の大多数の暮らし向きは決してよくなっていないどころか、収入は増えないのに、負担は増え、物価は上昇基調と、悪化する一方です。質疑の中でも明らかになりましたが、生活保護の保護率は、この10年の間に2倍以上にふえ1%を超えており、また小中学校の就学援助率も20%を超えています。
こうしたもとでは、予算に多少なりとも余裕があるとすれば、区民生活の支援を考えるべきであって、貯金にまわす、いわんや減税自治体構想と称して百年も積み立てて使わないなどということはとんでもないことです。しかしながら、予算案をみると、福祉政策は相変わらず縮小される一方、新しく計画されているのは、公共施設ばかりという計画になっています。「めりはりをつけた」という答弁がありました。何がメリで何がハリかを見ると、どうも逆なんじゃないかという感じがいたします。
<他区と比べても特異な福祉の軽視>
時間の関係でふたつの分野から申し上げます。第一になんといっても、福祉政策、とりわけ、高齢者福祉の政策がきわめて貧困であるばかりか、いっそう削減されていこうとしていることです。もしかして他区でも同じ傾向なのかもしれないと思い、他区の議員に聞いてみたところ、全くそんなことはありませんでした。他区の予算には相変わらず、ここぞとばかり「福祉」「福祉」と書き込んであるそうです。杉並区がこれほど福祉を軽視していることはやはり特異なことなのでした。
2006年の介護保険制度改正以来、介護保険料の大幅引き上げと同時に、サービスが制限され、使えなくなってきたことに、この間、区内には怨嗟の声が充ち満ちています。
その上に、来年度から後期高齢者医療制度が予定されています。75歳以上の人たちの負担を増やし、医療を制限するこの制度自体が容認しがたいものですが、施行されれば、高齢者のおかれた状況はますます厳しくなり、生命の危機にもさらされる危険性が高まります。
「改革政治」のもとで、社会保障構造改革が進められてきた結果であり、国の制度が悪いのではありますが、そうであればなおさら、杉並区は、独自の政策として、たとえば訪問介護の上乗せ事業を行うなどして、区民の福祉の向上のために何ができるか真剣に考える義務があります。
何度も言っていることですが、たとえば渋谷区ではこの1月から独自の上乗せ事業を始めており、年間1億円の予算でそれをすることになっています。人口規模を考えても、杉並区で2億円程度あればできる事業です。子育て応援券に7億、8億出せる杉並区です。人口比でいえば、よほど大勢いらっしゃる高齢者のために、なぜ1億2億が出せないのでしょうか。このような上乗せを一切やらないどころか、逆に、これまで区がやってきた、数少ない独自サービスをさらに削減していくという姿勢は、とうてい容認できるものではありません。
<配食サービスなどの突然の削減>
質疑の中で例としてとりあげましたが、区独自の高齢者福祉政策である、配食サービスがいきなり大幅に予算を削減され、あるいは、移送サービスから市民、NPOが撤退せざるをえない状況になったことが明らかになったことは、きわめて象徴的なできごとでした。
1970年代、まだ、介護保険どころか、「老人福祉」という言葉さえなかった時代に、自ら介護の苦労をした女性たちが、市民運動として手作りで始めた配食サービス、そして移送サービスは、一人暮らしの高齢者や体が不自由な方の苦労を和らげ、文字通り命をささえてきました。生活感覚の中から本当に必要なサービスとして編み出されてきたのです。
「杉並方式」とよばれた給食事業は、高齢者福祉の草創期にあって、全国的にも大きな影響を与えました。市民の提案を行政が受け止め、おたがい意見を戦わせ、知恵を出し合って、まさに、共同作業によって作り上げてきたサービスでした。
区民と行政の協働の理想型と申し上げましたが、当時の杉並区の行政は、市民の提言を受け止めて政策化する力量もあったといえます。
<杉並区の「協働」はまやかし>
来年度予算において、配食サービスが大幅削減されたという事実もさることながら、そのことを事前に打診することもなく、決定後に一方的に通告したやりかたは、杉並区のいう「協働」がいかにまやかしであり、中身のないものであったかを如実に示しました。区は都合のいいとき、都合のいい相手っだけを「協働」「協働」と持ち上げて、区が必要としなくなれば、ひとことの相談もなく切り捨てる。これが区のいう「協働」の実態ではありませんか。
民間の弁当業者のサービスで十分だとする区の説明は、区内高齢者の生活の質と、そのために心を砕いてきた杉並の市民のかけがえのない活動の意味を忘れさってしまったものです。
移送サービスにおいても、区の補助金が削減される中で、タクシー会社ばかりが参入してくる状況に、市民、NPOが撤退を余儀なくされました。採算度外視の手弁当、ボランティアでがんばってきたNPOや市民が、資本力のある営利企業のサービスに駆逐されていくことを、区が容認し、あるいは、それどころか、積極的に企業中心の事業への転換を推進する政策をとっていることは、許し難いと思います。
結局のところ、区は市民やNPOとの共同作業として福祉をつくりあげ、拡充させていくという使命を忘れ、補助金を削り、民営化を推進する中で民間企業のビジネスチャンス創出に道を開いています。これが区のいう「協働」の実態です。
<平等を否定する区長>
質疑の中で、区民を「協働の担い手」とよんだ答弁がありました。まるで行政側が区政の主人公であり、区民はその協力者にすぎないかのようです。主権者である区民こそが区政の主人公であることはいうまでもなく、全く転倒した認識だと思いますが、このような表現がぽろっと出てくるところに、今日の区政の姿勢がみえてきます。区民を区政のお手伝い程度にしか考えていない区政の傲慢な本音がみえます。
今年は介護保険事業計画の見直しの年にあたります。前回の見直しにあたって、杉並では、保険料が大幅にひきあげられ、全国平均よりも高くなりました。今回の見直しにあたっては、介護保険サービスの現状、また、高齢者のくらしの実態について、十分に把握した上で、さらに、運協はもちろん、区民の意見を十分にとりいれて、区民のいのちが守られる計画へ転換していくべきです。
区長は答弁の中で「平等と自由とは対立する」として、全面的に自由な経済活動を保障するためには、平等は制限されるとの考え方を示しましたが、私はこれを聞いていて、なるほど、教育基本条例の懇談会が「近頃は自分さえよければいいという自己中心的な人が多い」と書いていたのはこのことであったかと得心しました。
区政の最も大事な役割は、不平等の是正、区民福祉の充実、あくまでも平等の追求であります。それができないのでは、税金をあずかって仕事をしている資格はないと知るべきです。
<和田中の夜間塾問題>
第二に教育の分野です。和田中の夜間塾問題が、委員会でも多くとりあげられました。この問題は、杉並区の教育改革の問題点を、明瞭に示したのではないでしょうか。
1点目には、「学校希望制」を導入して以降のひずみです。教育委員会は、学校希望制によって学校間の競争をあおると同時に、もう一方の手では和田中に民間人校長を任用し、特別扱いしてきました。校長が何をやってもおとがめなしで、ホームページ上で、根拠もなく、あたかも他の公立学校よりも優れているかのような宣伝をしても、そのまま修正もさせない。その他にも、和田中だけバス通学を許可したり、区域外からの入学が実質上認められるという不公平な競争が行われてきました。
和田中に対する優遇という問題もさることながら、私立に対抗するどころか公立学校どうしが足の引っ張り合い、子どものとりあいをしなくてはならない、希望制という制度そのものの弊害がここにきわまったというべきでしょう。
<主役は学校なのか企業なのか>
第二には、リクルート出身の民間人校長という存在をとおして、学校が企業に対して無防備に開かれてしまったことです。夜間塾では、国語、英語で、学校の昼間の授業と同等以上の授業のコマ数が行われます。数学にいたっては、授業のコマ数の約2.5倍と主客が転倒しています。そして、企業の営利活動としての授業が学校の施設を利用して行われます。主役は学校なのか企業なのか、もうわかりません。
教育委員会は、「学校支援本部のとりくみ」であるとして営利企業の参入を容認しました。同様の塾の取り組みを他校でもやろうとすれば可能だという答弁がありました。おどろくべきことです。学校支援本部が、企業が学校に入り込むための入り口になることを、教育委員会が認めたわけです。今後たとえば、食育と称してファストフードやスナックの会社が学校の授業に入ってきても、教育委員会はそれをとめられません。学校は企業の草刈り場になります。教育委員会夜間塾をあえて容認することで、企業の学校介入をあからさまに推進しはじめたと見ることができます。区長主導で教育改革が進められてきた結果、ここまでいきついてしまったのです。
<学校支援本部のあやうさ>
第三に、学校支援本部のあやうさを露呈したことです。区民が学校支援本部という存在すら知らない間に、学校支援本部には数百万の公金が投入されていたことがわかりました。しかも、その会計は不明朗です。支援本部は組織らしい実体がなく、従って予算計画を審査したり、決算を監査する仕組みもありません。公金が仮に他に流用されていたとしても、知るすべがありません。
また、学校支援本部を今後全校に整備していくという計画ですが、本来学校職員が行うべき、芝生の手入れや図書館の運営を地域のボランティアにまかせていくという和田中のやりかたが、さも標準的なやりかたのように他校に輸出されていくことも問題です。ここでも区は、都合のいいところだけ「協働」といってボランティアを使おうとしています。ボランティアにまかせていい仕事と、そうでない仕事は線引きしなくてはなりません。
今年度制定を計画しているという「教育基本条例」は、これらの問題点をすべて含んでおり、しかもそれを条例という法的な形で、杉並区に固定化しようとするものです。これから先百年も、こんな条例で縛られては、杉並区民はかないません。
なお、付け加えますが、質疑の中で、あたかも山田区長になってから教育費が増加してきたかのように受け取れる答弁がありましたが、山田区長になってからの教育費の比重は前区長時代とくらべ、平均3分の2程度に激減してきていることを再度確認しておきます。この傾向は来年度予算においてもかわりません。
2つの分野から考えましたが、ここには区政の他の分野にも共通する大きな問題点があると思います。
ひとつには、先にのべたように、区民大多数のくらしむきが悪化する中、福祉政策で区民生活を支援する観点がなく、財政の削減優先であること。また、本来公的セクターとして行うべき、たとえば福祉や教育の分野にまで、無節操に企業をよびこみ、営利事業のくいものとし、サービスの低下を招いていること。さらに、区民との「協働」といいながら、それは行政にとって都合のいい、下働きにすぎないことが明らかになってきたことです。これらの点から来年度予算には反対せざるをえません。
杉並病と中継所の廃止問題>
さらにもう一点、環境・清掃行政についてです。区議会では杉並病について答弁を拒否する区長ですが、先日ある会合で「健康不調の原因については灰色、すっきりしない結論」と述べました。その責任は誰にあるのかといいたいところですが、区は今年度中に杉並中継所の廃止を目指しているということです。
このかん、杉並病の被害者および市民、専門家は、杉並中継所のモニタリング調査が不十分なものであり、もっと本格的な環境調査を実施するよう繰り返し申し入れていますが、区はがんとして聞き入れないままです。区の環境政策といっても、あしもとの公害への対処をしないまま地球環境などときれいごとを言ってもむなしいのではないでしょうか。この点からも、受け入れがたい予算であると申し上げます。
なお、中継所に関しては、ごみを搬入している練馬区は「都から移管した施設を杉並区が勝手に廃止することはできない」と言っているとのことで、今後、廃止に向けての交渉がスムーズに進むという保障はありません。また、廃止したあとの跡地利用がスマートすぎなみ計画には盛り込まれています。プラリサイクル施設の危険性が、ようやく全国的に知られるようになってきたところですが、跡地利用がプラリサイクル施設になるのではないかという危惧もあります。
以上、大きなポイントだけ申し上げましたが、これらの理由をもって、杉並わくわく会議として、議案第23号平成20年度杉並区一般会計予算、および各会計に反対いたします。また、議案第15号事務手数料の一部を改正する条例、議案第33号杉並区保健所使用条例および杉並区立歯科保険医療センター条例の一部を改正する条例には賛成。それ以外の議案には反対いたします。
<杉並に住民自治のプライドを取り戻そう>
意見開陳の最後に、ひとこともうしあげます。
予算特別委員会の長丁場の間に、皆さんの質疑をききながら、私なりに考えたことがあります。それは、杉並区の伝統や文化、誇りとは何かということです。教育基本条例の報告にも、杉並の文化や伝統を知り、誇りをはぐくむと書かれています。しかし、その中身は何なのか。
私は幼時から杉並に住み、幼稚園から高校まで区内で卒業しました。学校の制服というものを着たことがなく、そのことも区民としての誇りのひとつですが、そういう地元の人間のひとりとして、個人的な思いを言わせていただくならば、杉並区の伝統とは、原水禁運動に代表される市民運動の脈々たる伝統であり、杉並の文化とは、こうした市民運動の基盤をなす区民の自由で創造的な知性そのものです。誰かエライ人や有名人が住んでいたのが自慢だとか、アニメキャラクターが町の象徴、などという底の浅い文化や伝統ではありません。
杉並に住む市民自身が築き上げてきた住民自治の伝統こそが我々の誇りです。
山田区政も10年目を迎えようとしており、この間、杉並区の姿も変わり果てた感があります。新年度を迎えるにあたり、私は、こうした杉並区民のプライドをもういちど取り戻す決意を新たにしております。区民の皆さんとともに、区政の転換を闘いとっていきたいと思います。
最後になりましたが、今回の予算審議におきまして、多くの職員の皆さんが資料作成にご協力いただきました。不慣れなため、何かとご迷惑おかけしたことをお詫びしますとともに、ご協力に心より感謝申し上げまして、意見開陳をおわります。