わくわくの日々

杉並区議会議員・松尾ゆりのブログ

杉並病は終わらない

7月6日に「杉並病をなくす市民連絡会」の健康調査報告集会がありました。報告の中で会の私たちが申し上げたことは、「杉並病被害はあいかわらず続いている。それは、新しく引っ越してきた人たちが、井草にきてから症状が始まった、と何人も証言していることからも明らか」ということ。そして「中継所は廃止されることになったが、それは杉並病の解決に直結するものではない。健康調査、原因究明、被害者の救済・治療などが行われないかぎり杉並病は終わらない」ということでした。
またプラスチック・リサイクルの広がりによって、各地で第二第三の杉並病が発生していることも指摘しました(寝屋川市では「寝屋川病」と称するようになっています)。この日は支援科学者のグループからも参加してくださり、多くの示唆をいただきました。
これに先立つ6月25日の清掃・リサイクル特別委員会では、杉並中継所の廃止について区からのコメントがあり、私も確認のため質問しましたが今年度中(2009年3月まで)に廃止するとのことです。このことは東京新聞などでも報道されました。
4月から23区のプラスチックごみが「可燃ごみ」に分類されるようになり、大幅に減量されています。杉並でも容器・包装プラとペットボトルは資源回収、その他プラは焼却となったため、「不燃ごみ」は4分の1に減っています。この変更を受けて23区のごみを管理する「一部事務組合」では10カ所ある不燃ごみ中継施設のうち、杉並中継をふくむ5所を廃止する方針を打ち出しています。
廃止になった場合の問題点として一つは、不燃ごみをどこへ持って行くのかということです。杉並中継所にごみを持ち込んでいる中野・練馬区も同じ問題に直面します。江東区へ直送するのか、近隣に残る中継所に持ち込んであいかわらず圧縮を続けるのか。この点について「他の中継所で圧縮を続けるのですか」と質問したところ「中継所は圧縮はしていません」という仰天の答弁が返ってきて絶句しました。これは訂正していただくべきだと思います。
もう一つは、中継所の施設の後利用です。この施設はもともと都のものだったのを「清掃事業のための施設」という条件で委譲されたものであり、他の用途に使うわけにはいきません。「清掃事務所の移転・集約」などを検討しているとのことでしたが、昨年の「環境清掃審議会」では「プラリサイクルのための施設を区内に」という文書が出されたことがあって問題になったことがあります。プラ圧縮(プラリサイクルの中間施設では収集されたプラスチックを約4分の1に圧縮しています)が別の形で続けられるのであれば、杉並病の悪夢は消えることがありません。この点については、警戒が必要だと思います。
なお、東京新聞7月5日付「現場考 杉並病は終わらない」というタイトルで区民の声が取り上げられました。一部を紹介します。
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・「すぐに停止していれば被害はもっと少なかったはず」と被害住民のSさんは憤る。中継所の稼働後、あごに生えるようになったひげを毎朝鏡の前でそる。女性として屈辱を覚えながら、12年間を過ごしてきた。(中略)Sさんは「生きている限り自分の体験を訴え続け、第二の杉並病を食い止めたい」という。
・発症を機に自ら実態解明に乗り出した工学博士のTさんは「プラスチックのリサイクルは盛んになっており、ほかの施設でも起こりうる」と警鐘を鳴らす。
・当初の運動メンバーから引き継ぎ、02年に発足した「杉並病をなくす市民連絡会」は2年ごとに健康調査を行い、中継所の操業停止を訴えてきた。(中略)代表のTさんは「不燃ゴミを効率よく処理するため中継所ができた。今度はプラスチックを燃やすから不要という。行政の都合で住民が振り回されているだけ」と反発(中略)「中継所が停止することで杉並病がなかったことにされるのでは…」と不安を募らせている。