わくわくの日々

杉並区議会議員・松尾ゆりのブログ

姜尚中さん講演盛会でした

昨夜セシオンの姜さんの講演会は大入り満員でした。650の参加者カードが全部なくなったそうで、660〜670名はいたのではないかというのがあとからきいた受付の話でした。さすが有名人、でも姜さんだから話を聞きたいという人がこれだけ集まったということはうれしいことではあります。杉教組の先生たちも、昨夜だけはお祝いでした。
姜さんの講演は「広範な国民連合」でも10年近く前に開催したことがあります。当時は今ほど彼も有名ではなかったので、百数十人の参加でしたが、会場はいっぱいでした。
当時の話と比べて、おおっと思ったのは「ナショナリズム」についての内容がより深められたことです。前にきいたときは単に「日本で進行するナショナリズムの肥大化に警戒しなければならない」といったような内容だったと記憶していますが、昨日の話では日・韓そして在日のナショナリズムの比較を通じて、日本のナショナリズムを「従属的なナショナリズム」であると特徴づけていました。
この期間に姜さん自身の論考が深められるととも、日韓両国に進行してきた変化が、その裏付けになってきたのだと思います。日本人のゆがんだナショナリズムが、何を根拠に出てきているのか、おそらく以前よりも、余裕をもって、客観的にながめておられるのではないでしょうか。
岸信介ナショナリズム、植民地に生じたゆがんだナショナリズムを分析して、これらもまた司馬遼太郎いうところの「鬼胎」であったと表現されていたことに、納得できるものがありました。
日本のおかれている状況、アメリカへの従属という枠の中で、むしろそれによりそう形でナショナリズムを実現しようとする醜悪な、「つくる会」のような人々、そしてそれが生まれ、成長してきたこの60年は何だったのかという投げかけでした。
姜さんはこの60年を「ゆるやかな逆コース」、そして今それが完成しようとしていると表現していましたが、私は、それにはやや疑問があります。日本人として見れば、もう少し紆余曲折があり、自省もこめて、簡単には答えの出ない問題であると思います。
講演の始まる前に、「書き換え」問題で配転になったK先生、その支援をしている宮前中保護者のTさんが発言をしました。とりわけTさんが「子どもから、お父さん、お母さんたちの運動はどうだったのかといわれるのではないか。地域で起きている問題に地域で闘うことができなくてはならないと、自分自身にも問い続けている」という内容の発言をしていたことが、身にしみました。