わくわくの日々

杉並区議会議員・松尾ゆりのブログ

外環ジャーナル/ゆり

今回は19,20の2号まとめて入れていたんですね。ちょっと手抜きかも。それはともかく、善福寺の方に9月にお会いしたとき、PIが突然終わってしまった!と怒っておられました。委員の人たちの意見、国・都の意見は出ているけれど、区の意見は出ていませんね。杉並区はとりあえずIC反対なのに。だから出さない? というわけで、下記に議事録から掲載します。(住民2人の意見は「外環ジャーナル」掲載のダイジェスト版。区の意見は議事録からの抜粋)
議事録はhttp://www.ktr.mlit.go.jp/gaikan/pikaigi/pikaigi_f01.htmlから読むことができます(今回のは13回)。
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「絶対反対の声が聞こえないのですか」(杉並区 植田芳子委員)
 私は皆さまのように難しいことは言えませんが、昭和41年以来、私たちの町が外環道にかかるというので反対運動をしてきました。杉並区は緑に恵まれ、水にも恵まれ、自然にも恵まれ、豊かで環境のよいところです。私も70年以上、善福寺に住んでいますが、家を一歩出れば桜並木ですばらしいところです。
 西荻地域区民センターにおける二度にわたる「意見を聴く会」では、環境問題、善福寺公園の水の問題、教育問題などについて質問しましたが、そのたびに外環建設には絶対反対、と叫ぶように言われました。それは、皆さんの心からの叫びです。1回だけでは時間が足りず、2回目は2時から7時半頃まで、地元住民がありとあらゆることを心配し、外環道はつくらないで、つくらないでと大声で叫び、外環道建設の白紙撤回を求めましたが、国や東京都はこの声が聞こえないのですか。
 住民のこの叫びを、どうか聞く耳を持ってください。
 まだまだ長い道が続きます。私たち住民は頑張ります。

「ICはいらない外環もいらない」(杉並区 宿澤藤子委員)
 外環計画沿線には、石神井公園、善福寺公演、井の頭公園があり、住民の環境を潤しています。杉並では井草八幡宮の森や青梅街道のケヤキ並木が立派にそびえ立ち、排気ガスを浄化する役割を務めています。青梅街道にICをつくれば60本もの木をきらなければならないが、道路を造るためによい環境を破壊してもいいのですか。人間や経済は時代とともに進化しなければいけません。しかし、進化のために人間の根源である生活環境を壊しては元も子もありません。
 石原都知事が寝た子を起こすように外環の話を持ち出し、今日に至っていますが、計画を三十数年もほうっておいたということは、もう必要ないということであります。無用なものは行政であっても、堂々と中止と発表できるのではないでしょうか。
 上も車道路、下も車道路、地下までもが車道路で人間はどこを安心して歩くのでしょうか。私たちは今のままでよいのです。この豊かな環境に、安心して子どもを育て生活できることを喜びとしています。皆静かに暮らしたいから、これ以上道路は必要なく、外環は要りません。今大切なことは人間の良識であります。世の中の悪い流れに一石を投じる勇気、良識が求められています。

杉並区役所 菱山委員
 杉並区としましては、外環道計画は広域的な環状道路としてその意義に一定の理解をもっています。大深度地下の活用は地上部への影響が少なく、安く早く建設できるものとの認識に立ち、平成15年6月27日に「大深度地下を活用した外環の整備には基本的に賛成するが、青梅街道ICの設置には反対する」旨の杉並区の方針を公表いたしましたが、現在もこの方針にいささかも変わりはありません。
 しかしながら、大深度地下方式を活用しての外環道計画は、これまでに類をみない大型土木構造物となることは必然であり、それだけに自然環境に対する影響や事故発生時の対策などに未知、未確定な部分も多く、懸念もあります。したがって、かつて国と東京都が表明された「沿線地域の環境に与える影響が大きいことが判明した場合には、計画をとりやめることもありうる」との姿勢を堅持されることを求めておきます。公共事業の実施主体である国及び東京都の説明責任と環境に対する配慮義務は極めて重いといわざるを得ません。広く住民の声を聞き、必要な情報の積極的な提供に努められるよう、改めて強く要望して杉並区の意見といたします。
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このほかの委員は「住民は青梅街道IC絶対反対」「外環整備に向けた明確な決定を」「説明は不十分であり国家財政を考えて反対」「外環は環状道路として必要性の高い道路」「外環建設を進める道路行政への不信」などなど賛否両論で、「ジャーナル」を読む限りでは、半々か、賛成派がやや多いという感じです。それなのに、PIはやめてしまって、もうGOサインなのか!? 本来「必要性から議論し、必要がないのであれば計画自体をやめる」はずのPIが全く換骨奪胎されていたこの3年間でした。