わくわくの日々

杉並区議会議員・松尾ゆりのブログ

天皇即位賀詞決議に反対しました(2019年12月6日本会議)

 杉並区議会2019年第4回定例会が閉会しました。最終日に審議された「天皇即位賀詞決議」を求める陳情とこの陳情にもとづく決議案に私は反対しました。理由は原稿にある通りです。

 そもそも、杉並区議会では決議案を出す場合は原則全員が賛成できることという不文律があり、賀詞決議についても2か月ほど前から話がありましたが、反対する会派があるため決議案の提出を見送ったと理解しています。ところが、今議会の中日11月22日に突然上程された陳情(神社庁の方から出されたもの)が29日には委員会で採択されてあっというまに決議にまで至ったという経過は逸脱です(指摘する議員に対して「陳情だろ」というヤジが飛んでいましたが、それは詭弁というものです)。

 これまで、少数派が決議案を出したくても合意が得られないからと断念したことが何度もあります。しかし、今回このような逸脱があったからには考え直さなくてはなりません。下記発言の最後の補足はそういうニュアンスをこめています。

(以下原稿です。実際の発言とは異なる部分があります)

 「1陳情第39号」の採択に反対する立場から意見を述べます。本陳情は、新天皇の即位にともなって杉並区議会が賀詞を発することを求める陳情です。

 わが国は国民主権に基づいており、日本国憲法では天皇は日本国の象徴、日本国民統合の象徴とされている一方、国事行為のみを認められ、それ以外の国政に関する権能を有しないとされています。即ち天皇は君主ではなくこの国を治めるものでもありません。この国を治めるのは我々国民です。

 したがって天皇即位に際し、あたかも臣下であるかのように、我々国民が賀詞を奉ずることは、国民主権基本的人権の理念に反するといわなければなりません。

 そもそも憲法基本的人権の規定において、すべて国民は身分、門地等によって差別されないとされている中で、天皇の地位だけが世襲によるとされていることが矛盾しています。天皇をいただく日本国民という構図は、封建的な身分制度を肯定するものであり、現代の日本社会における多様性、とりわけ民族的多様性を排除していくことになりかねません。

 また、信教の自由の観点からも問題があります。天皇制は特に明治以降、国家神道と一体のものとして存在してきました。今般の即位関連儀式の多くもきわめて宗教的な色彩の濃厚なもので、こうした儀式を国民全体の負担でまかなうことについては、信教の自由を侵すものとして、これまでも違憲訴訟も行われているように、違憲性を免れません。

 神話時代から数えて126代の天皇という点については委員会でも異議が述べられていましたが、杉並区議会が神話と歴史とを混同するような陳情を採択してはならないのではないでしょうか。

 さらに、戦前の大日本帝国憲法下で行われた侵略戦争昭和天皇の戦争責任問題はいまだに日本社会で十分な共通認識となっておらず、そのことが繰り返されるヘイトスピーチアジア諸国との関係構築の困難さにつながっていることも指摘しなければなりません。

 おめでたいことだから祝いたいという人がいるのは否定しません。しかし、こうしたさまざまな問題に対して、区民の中にも多様な意見があります。本陳情は、杉並区議会に対し、区民を代表して賀詞を決議するよう求めていますが、区民全体でなく一部の区民の意見を区議会が代弁することは区議会として行うべきではありません。

 以上をもって反対とします。

 なお、本陳情は改選後39号とのことですが、これ以前に多数の陳情が出ているのにいっこうに審査が進まない中で、出されたばかりのこの陳情だけが優先的に審査されたことには違和感を否めません。賀詞決議に対して区議会全体の合意が得られないなかで、陳情を足場にして強引に決議を提案することは円滑な議会運営にも不協和音を来す行為であることを指摘しておきます。