わくわくの日々

杉並区議会議員・松尾ゆりのブログ

教育委員会傍聴記

ひとつ深呼吸をして。落ち着いて昨日の記録を書きたいと思います。
(委員の発言は私の記憶によるので、「こんなかんじだった」程度に受け取ってください)
歴史は4対1で多数決で扶桑社の継続に決まり、公民は4対1で日本文教出版に継続と決まりました。(公民の1は宮坂委員。「扶桑社」支持でしたが、現行でもよい、とのことで継続に決定)
今回は、すべての教科について、一覧表に委員がマルをつけて、それを集計するという作業が15分ほど行われました。これまでにはなかったことです。
最初の国語のときに委員長が「全員一致なので、現行の光村でいいですね。何か意見は」と言ったとき、井出教育長が「今回の採択は平成22、23年度の2年間しか使わない。そのかんは移行措置になるので、現場は負担が多い。これまで4年間使ってきた教科資料の蓄積があるので、現行の教科書を使うことがのぞましい」という意見をのべました。だれが聞いてもこれは「歴史」への布石でした。
問題の歴史は、安本委員ひとりが帝国書院(扶桑社になる前に使っていた会社)を推薦。「世界とのつながりのなかで日本の歴史を学ぶことが大事」という視点から帝国がよいとの意見。現行の扶桑社はその点が欠けていること、また、史実の明らかでない古代に多くのページが割かれていて中世と近現代史が少ない、という問題点を指摘しました。
これに対し、扶桑社賛成派の宮坂委員は、神話がのっているのがいい、また、この国に生まれて幸せということを学ぶ点から扶桑社がよい、さらに歴史観にはいろいろあり、国のかずだけある、日本には日本の歴史観がある、といいました。他国との協調など、まったく考えず唯我独尊でよいといわんばかり。
新任の大橋委員は、PTAの立場から現場の先生たちの苦労をみている、と言っているくせに、「だから扶桑社がいい」という矛盾した意見。そして上の教育長の意見をなぞるように「2年間だから現行の継続がよい」
問題の井出教育長は、と注目していると、音声が突然小さくなり、会議室(傍聴席に入れなくて音声のみ聞ける控え室)では「聞こえない」「ボリュームを上げて」という声が飛びました。本当に小さい声だったのです。私もほとんど聞き取れませんでした。
あとから聞いたところによると、教育委員会室で傍聴していた人でも聞き取れないような声だったとのこと。音響機器のせいではなかったのです。
井出さんが言ったことは、どの教科書にも長短があり、この教科書でなければというようなことはない。授業は教科書だけでするわけではなく、足りないところを補えばよい。それは教員の努力によるもの、ということ。それと国語のとき言ったことと同じ「2年間だからこのままでいい」ということでした。
これらの意見をふまえて、大蔵委員長が「一人反対の人がいるが、多数が扶桑社がよいということなので、決定するが異論はありませんね」というと、安本委員が「私は異論があります」と発言。「現場の先生たちはこの4年間、あの教科書を使うために非常に苦労をしてきたということを聞いている。扶桑社はやはり使ってほしくない」と言ったところ、大蔵委員長が「教科書調査委員会から上がってきている文書には全くそのようなことは書いていない。そんな事実はない」と反論。まるで安本さんがウソをついているような言い方。
さらに大蔵委員長は聞かれてもいないのに「安本委員は10年前拉致問題は事実ではないといって扶桑社を批判した」と言い立て、安本さんが反論すると、興奮して自分がべらべらとしゃべりつづけ、安本さんに「まあまあ、その話はやめましょう」とたしなめられる始末。
安本さんは「調査資料に書いていないといっても、先生方から聞いたことは、私個人の調査です」と毅然と最後まで反論していました。しかし、委員長である大蔵さんが意見を言わせないので、やむなく折れて「私は異論があるが、多数で決定されるのはやむを得ない」と受け入れました。こうして、あと2年間の扶桑社版つくる会教科書の使用が決定されました。
安本さんは、本当によくがんばってくれたと思います。孤立無援で。最後まで教育委員としての責任を全うしようと発言してくれました。
それに対して、扶桑社推進派のひどいこと。
大蔵委員長は、委員長という立場も忘れて、扶桑社採択のために必死。安本さんの意見を言わせないために、自分の意見をわーわーいいつのるばかり。議事進行係という委員長の職務を完全に放棄していました。
議会で「大蔵氏は日本教育再生機構の役員で、つくる会と密接な関係にある。利害関係者が採択に関わるべきでない」と何人もの議員から指摘されたのに、こともあろうに委員長の席に居座った大蔵さんは、扶桑社の利害のためだけにここにいることを自らの発言で暴露してしまったのでした。
ある意味大蔵さん以上に許せないのは井出教育長です。
区内の小学校の先生として、さらに校長として、区内では信頼を集めていた人。都教委から戻ってきて教育長に就任したとき、もしかしたら扶桑社教科書を追い払ってくれるかも、とみんなが期待した人。その人がみごとに期待を裏切ってくれました。
教育委員会を欠かさず傍聴してきた方の話では、前教育長までは、傍聴席に顔を見せて座っていた。井出さんが教育長になってから、傍聴席に背中を向けて座るようになった、とのことです。今回も同様、井出教育長は区民に顔向けができないのか、後ろを向いて話し、マイクが拾えないほどの小さな声での発言でした。
子どもたちのことなど、全く念頭にないかのような意見。「2年間しか使わないのだから」「教科書はどれを選んでもかわらないのだから」という言い訳は、教育の現場で長年務めた人とも思えません。教科書はどれでもいいという投げやりな意見を、将来自分が公の席で発言すると知ったら、若いころの井出さんはどう思ったでしょうね。
2年間だからいいじゃないか、という論理が一番私は許せません。教育者ならありえない意見です。
大人にとってはたった2年ですが、本人には一生に一度しかない中学校の授業なのです。中学生時代は二度とやってこないのですよ。教育長。いえ井出先生。
教育の独立を守れない教育長は教育長にあたいしません。山田区長に完全に屈服した教育長の姿は、いまの教育行政と政治との関係を戯画的に表しています。教育といい政治といいますが、それを体現している人間次第だということを考えさせられます。
昨夜の抗議集会のなかで、何人もの人が「杉並の教科書ばかりでなく教育全般を決める教育委員会が、あんなひどいレベルだと知って愕然とした」と言っていました。全くです。
自分の意見ばかりわめき、反対意見を封殺する大蔵委員長。
歴史の教科書なのに「神話がのっているのがいい」なんていう宮坂委員。
(痴漢にあうのは女性が露出した服を着るからだという意見の持ち主でもある)
扶桑社版の内容についてどこがいいとも言えないくせに、ただ「2年間だから」と強いものにまかれた大橋委員、そして井出教育長。
つくる会教科書に賛成する」ことを唯一の基準に選ばれた委員だからこその体たらくです。杉並の教育が混乱を極めている根源がここにあることがよくわかります。