わくわくの日々

杉並区議会議員・松尾ゆりのブログ

教科書問題と日韓の歴史/ゆり

杉並わくわく会議の学習会「教科書問題と日韓の歴史」をひらきました。
最初に参加のみなさんにひととおり自己紹介をしていただきました。先日、ソウル市ソチョ区の人たちのお宿を提供したOさんは、ソチョの人たちとの会話から、「ウリ党ハンナラ党(日本でいうと自民党社民党みたいなもの?)の両側の人がいるのに、扶桑社の教科書についての意見では全く一致していた」政治的立場が全く正反対でも、この問題については韓国では意見の違う人はいないだろう、とのことでした。扶桑社の教科書は、日本は朝鮮や中国よりもすぐれていたから近代化することができたという見方で、日本では戦前戦後を通じて、このように中国・朝鮮の人たちを一段低く見る見方が定着し、今も続いているのでは? とのご意見でした。
重藤都さんにはいろいろお話いただきましたが、その中で私が印象にのこったことは、
(1)先日も書きましたが、教科書の読み合わせをしたときの話。戦前の教育を受けた人は考え方では抵抗があっても、扶桑社の教科書がスラスラ読めてしまう。60歳以下の人は、いちいちひっかかってしまって読めない。もっと若い人たちは全然受け付けなくて「子どもたちはこんな教科書じゃ全然わからないのでは」という感想だった。意識していなくても、教科書の影響力って大きい。
(2)意外に若い人たち、30代とかに、扶桑社の支持者が多いときいたのだけれど、どうなんでしょうか、という話。
(3)扶桑社が今回表現をかなりおとなしくした。その一方で、他社も表現を変えた(従軍慰安婦が全社からなくなった)。このように両方から歩み寄るとすれば、何が起こっていくのか? 扶桑社をボイコットさえすればいいということではないと思う。
(4)これが一番大切だと思いましたが、「つくる会」の教科書は、私たちの戦後60年とかかわりのないところで、全くエイリアンのように登場したものではなくて、私達自身の歴史認識や戦争への反省、朝鮮・韓国やアジアの人々との関係のあり方の不十分さから出てきたのではないか。戦争は繰り返してほしくないと強く思っている私たちでさえ、朝鮮を植民地化した歴史を十分には知らないままにきている。だから、そういう土壌の上に「つくる会」の教科書が登場してきて、一定の支持を受けてしまっているのではないか。採択結果が出て終わりというのではなくて、歴史認識問題、アジアの国々との関わりという形で、これからもずっと私たちは問われていく。
1月に沖縄の話をしてくださった高田普次夫さんは、沖縄の歴史について、特に琉球処分のあたりをくわしく教えてくださいました。廃藩置県前に「琉球藩」がつくられていたことが、扶桑社版には書かれていない、という指摘で、他の教科書を読んでみると、ちゃんと書いてある会社もありました。また、琉球沖縄県として日本に組み込んだことについて、扶桑社は「清がみとめた」と書いてありますが、他社では「認めなかった」と書いてありました。同じ検定を通っているはずなのに??
上にのべた日韓の歴史もですが、沖縄のことだって、私たちは全然知らないんだなあと思ったのでした。